『6/29』

今の私のすべて。

孤独な群衆。

自分は face bookやってます。

やってるうちに 友達申請がきます。

大昔の小学校の友人から大学の時の友達まで幅は広い。みんなきっと あっ! あいつだー 申請しちゃおう的な感じで友達増やしてくんだと思います。

そして 思うがままに 書きこんでいく。どこいきましたーとか何しましたーとか時には結婚しましたや子供の写真まで載せている人たちまでいる。

その時 きっと彼らの生活はリアルでも それなりに楽しめているんだと思う。書き込むことの中にはフィクションも含まれていることもあるが 最低でも書き込むきっかけを作ったのはリアルの生活が元になってることが多い気がする。

つまり 現実が平行線で進んでいて それを元に書いている。誰かのコメント来るとうれしいし 共感してくれるとうれしく感じる。

けど、リアルがいつも楽しいことばかりではない。多くの人たちはつらい 苦しいことのほーが 多いはずだ。

それが続くと萎えてくる。

そんなときに人がfacebook何かを開いたりして 誰かがしあわせそーな時 素直に喜べるだろうか? もし、喜べるなら 数少ない 立派な人だと俺は思う。

多くの人は きっとそんなにやさしくはない。表面ではイイね!を押すが 本当はイイね なんて思ってないし 余計に気持ちが憂鬱になるだけだと思う。

そして、それに気がついた人たちがリタイヤして書き込まなくなる。

よーく考えたら 不思議な集まりだと思う。友達欄には百人できかない数の友達がいるのに そのうちこれから先に実際 顔を向き合わせておしゃべりする人何人いるんだろ?

携帯アドレス知ってる人 その中に何人いるだろ? 半分いるかな・・・・・・・?

僕は 最近 イイねを見るたびに  もしくはテキトーに押すたびに 何やってるんだろ俺?っと思ってしまう。

その数だけ 世の中の隙間を感じる。インターネットという仮想の世界でつながってるように見えても 実質は 生活の中の一部をはぎ取ってカードを見せてるだけに感じる。

残りのトランプの51枚は裏になったまま。その裏になってるのが われわれの正体なのだと思う。

裏になってるうち 何枚自分で好きと言えるだろ?

そんなことを考えてたら 昔 倫理か何かで受験の時に出てきた言葉が頭に浮かんだ。

『孤独な群衆』どんな内容だったかなんてモー忘れているけど 自分にとってsnsは せれに当たるんだなーってことははっきりわかった。

 

実際 はてなで 誰も気にせず 本音で思ったことをタイピングしている方がずっと充実してるように感じる。

リアルな人間接触をもっと大事にしようと思う。